今年(2024年)は荒川放水路通水100周年。
いたばし花火大会もこの記念回だったので、言葉を目にした人も多いのでは。
今回は、荒川放水路通水工事のビフォーアフターを追ってみました。
荒川放水路は、洪水被害をおさえるために川の流れを大きく変えるよう計画されました。
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板橋の舟渡あたりも、工事前後で大きく様子が変わっていてびっくりです。
板橋に住んでいても、荒川や下流の隅田川についてなじみがうすい人も多いかもですね。(わたしもその一人です)
隅田川
北区の岩淵水門で荒川から分派した後、新河岸川と合流して流下し、東京湾に注ぐ全長23.5kmの河川です。(中略)明治43年の水害を契機に荒川放水路が作られた後、
東京都建設局「東京の川」より
放水路の方を「荒川」、
岩淵水門から下流の東京湾までの区間を「隅田川」
と呼ぶようになりました。
荒川は秩父の山の向こうから埼玉県をずっと流れてきて板橋区あたりで東京都に入ります。
明治43年(1910年)の水害というのがキーワード、大切なので覚えておいてくださいね。
ビフォー
太い水色は現在の荒川河川敷です。
細い水色であっちこっち蛇行しているのが昔の荒川、すごいうねうねしてますね!
明治43年(1910年)8月、大洪水による甚大な被害が発生。
埼玉県内では、県西部や北部に人的被害が多く、床上浸水被害が県南や東部低地に多かったのが特徴です。
荒川上流河川事務所「明治43年洪水」より
交通や通信網も遮断され、鉄道は7~10日間不通。
東京では泥海と化したところを舟で行き来し、
ようやく水が引いて地面が見えるようになったのは12月を迎える頃だったそうです
かつてない大被害に、事業完成まで20年のビッグプロジェクトが始まりました。
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アフター
関東大震災を経て、1924年に放水路通水そして1930年に全事業が完了です。
現在の舟渡の地図はこれ↓
舟渡大橋がある水辺公園、実はU字の切れ端なのがおわかりになるでしょうか。
しばらくは昔の蛇行の跡が残ってたんですね。
大きな台風の被害から都心(荒川右岸)を守っているのがわかります!
「荒ぶる川」を穏やかな川にしてみんなが安心して暮らせるようになったんですね。
参考サイト
・国土交通省「関東の一級河川」荒川
・「荒川放水路の基礎知識」(PDF)
・荒川上流河川事務所「戸田の渡し」
・荒川上流河川事務所「明治43年の大洪水」(PDF)
・荒川上級河川事務所「荒川放水路の変遷」
・都立浮間舟渡公園(フィールドミュージアムガイド)