風景印さんぽ~vol.12 赤塚三郵便局

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こんにちは!桜の便りが待ち遠しい谷川さや花です。
お久しぶりの風景印さんぽ、今回は赤塚三郵便局を尋ねたときのレポートです。

▼前回のレポートはこちら

赤塚三郵便局は、地図ではここ↓

板橋区赤塚3-7-12。最寄駅は成増駅、徒歩6分ほどです。

成増駅北口は鳩の憩いの場。どれが本物の鳩か一瞬分かりません。

※記事は下に続きます

※記事は下に続きます

鳩に見送られつつ、郵便局へ。

(赤塚三郵便局)

保育園のお向かい、ご近所さんのための郵便局といった雰囲気。

さっそく風景印をもらいに中へ!

「官製はがき1枚と、そこに風景印をお願いします」

局員さん「かしこまりました。風景印はこの辺りでよろしいでしょうか。ではお待ちください。」

どの郵便局でも、風景印を押す位置を確認してくださいます。

待っている間、目に入ったのがキッズコーナー。子どもが遊んで待っていられるように、おもちゃや絵本のスペースがありました。郵便局では珍しいですよね。

ほどなくして呼ばれ、風景印とご対面。

風景印のデザイン(図案)は「松月院」でした。

地図を確認すると、松月院までは郵便局から徒歩20分ほど。そして松月院は、板橋十景の一つ!行かない理由がないので松月院を目指すことに。

すると・・・

!!!

なんてノスタルジックな駄菓子屋さん!

これも現役稼働中。小学生の男の子3人組が駄菓子を食べながら、遊んでいました。

風景印パワーで昭和にタイムスリップしたかと思いました。

こういうの、味わいがあります。

私も駄菓子をGETして、いざゆかん松月院へ!

歩いていると、前回の風景印さんぽで尋ねた赤塚郵便局が見えてきました。

(赤塚郵便局)

「こっちの方が松月院近いのに風景印は東京大仏なんだよな~」なんて、ちょっと風景印に詳しくなっております(※板橋区限定)。

この付近に板橋の名所が密集している証拠ですね。

到着。松月院は地図ではここ↓

板橋区赤塚8-4-9です。

延徳4年(1492)に千葉自胤が寺領を寄進して中興したと伝えられている曹洞宗寺院です。江戸時代は、将軍家から寺領40石を与えられた朱印寺でした。

板橋区公式サイトより

「朱印寺」とは、将軍が出した朱印状によって年貢が免除された寺院や神社のこと。徳川幕府による朱印状の現物が松月院には残っているようです。

朱印状は江戸幕府が倒れた際に明治政府が回収や黒塗りを施したため、現物はとても貴重だそうです。宝物館である松宝閣(有料)に収蔵・展示されています。

松月院は、板橋十景の6番。

入口を入ると、まずは幼稚園があります。

さらに奥へ奥へと進みます。

歴史を感じさせる鐘つき堂。

風景印にも描かれていた、板橋区登録有形文化財(歴史資料)の「火技中興洋兵開祖高島秋帆紀功碑」がありました!

高島秋帆は、長崎出島の町年寄であり、また、オランダ式の砲術を導入して諸藩の藩士にそれを伝授した西洋砲術家です。高島秋帆は、天保十一年(1840)のアヘン戦争の勃発を契機に、幕府に対して、戦争への防御のあり方と洋兵砲術の採用を建議し、翌十二年、幕府の御用地である徳丸ヶ原(現在の高島平一帯)において洋式調練を披露したことで知られています。

板橋区公式サイトより

高島秋帆といえば、高島平の地名の由来でもあるんですよね。高島秋帆が徳丸ヶ原の調練時に本陣としたのが松月院境内なのだそう。

ズームで見てみると、凝った造りなのが感じられました。

横から見た図。

風景印の構図はフィクションのようなので、なるべく似せて記念撮影して今回の風景印さんぽはお仕舞いです。

***

はがきの風景印に導かれて、昔懐かしい駄菓子屋さんで昭和にタイムスリップしたり、松月院では幕末の混沌を想ってみたりと「時代」の変化を感じる散策となりました。

でも、空や花の美しさは変わらないまま。大昔の人と同じように感動できるって素敵ですよね。春爛漫は、もうすぐです。